銀座・古美術 祥雲からの展示会情報やお知らせです

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鏡像
 

鏡像 

 

私の住む葉山町にはふたつの海がある。

一色海岸の美しい浜辺で地平線の彼方に心を泳がせる。ぼんやりと眺めていると、自分がどこか遠い国の知らない町にいるような錯覚をおこす。

私がいつまでも見ていたいと思うのは森戸海岸から見る景色だ。海に浮かぶ島には鳥居が立ち、その向こうに富士山の姿が見える。いつも見えるわけではなく、あらわれたり、かくれたりと実に富士山らしいと思う。見えない日には“あのあたりに居るのだな”と想像しながら眺めることにしている。

夕日が落ちてきて、辺りがモノトーンのまるで古い絵葉書をみるような景色に変わっていく中で、深い緑色の波打つ海面は平安時代の鏡像を思わせる。ぶっきらぼうな面にうっすらと揺れる姿を思い、心の居場所を実感する。

 




紙のほとけと和紙 華蔵Vol2より
展示会「紙のほとけ」


今年
1月に行なわれた“和鏡展”に続き古美術入門展として、“紙のほとけ”を開催いたします。謹厳な精神を伝える古写経や仏像の胎内に納められていた印仏、摺仏などの仏教版画。仏像や仏画制作の手本となった図像抄、和紙と墨で身近なものとして美術、工藝の美しさを伝える拓本などを展示いたします。

紙のほとけと和紙

和紙の伝わった道は佛教美術伝来の道でもありました。中国で発明された製紙技術は朝鮮半島を経て6世紀頃日本に伝わりました。中国式の製紙方法は「溜め漉き」といわれるもので、日本に渡った後に和紙独特の「流し漉き」へと発展し、より強く質の高い紙が作られるようになりました。日本には8世紀以降の絵画、版画、経典、文書などが数多く残っています。これほど古い時代の紙を使用した文化財が豊富に現存しているのは、和紙の存在が非常に大きかったと言えます。またあまり知られていませんが西洋美術にも和紙は関わっています。西欧に中国の「溜め漉き」の技術が伝わったのは日本よりもかなり遅れた12世紀になってからです。著名な画家レンブラントは和紙に着目して日本からわざわざ入手し、彼自身の芸術作品にも使用しています。

また近年、国内外において紙の文化財の修復に和紙が使われ、その価値が見直されています。和紙はその強度から実用に優れているだけでなく、書や美術作品の料紙として染料で染め、金、銀、色とりどりの顔料などで装飾するなど、雅やかな作品の素材として使われてきました。一方着色しない和紙の肌合いに映る書や版画などの墨の色は素朴でありながら味わい深く感じます。今回の“紙のほとけ”ではそれらの素材である和紙にも着目してほしいと思っています。日本の芸術文化に大きな役割を担ってきた和紙を見つめ直し、千数百年の時を越えた写経や古代、中世の仏画、版画を鑑賞することでその魅力を感じていただけたらと思います。(関 隆)


*冊子”華蔵”については祥雲のHPをご覧下さい。www.shouun.co.jp

勾玉〜石を身につける 華蔵Vol2より
東京国際フォーラムにて毎年開催される東京アートフェアは国内外から美術商が集まり現代美術、古美術が同時に展示されることで知られています。わたしたちは“Ancient Progressiveness古代の先達”というタイトルで縄文から古墳時代の作品を展示します。最先端のコンテンポラリーアートが数多く展示される中、古代日本美術はどのように映るでしょうか?

勾玉〜石を身につける

Ancient Progressiveness古代の先達”では特に“勾玉”の魅力に焦点をあてた展示を企画しました。勾玉は縄文時代から平安時代まで制作されていました。人々の誰もが持っていたのではなく呪術師(巫女)が首から提げていたとされています。巫女の埴輪の首に丸い玉などと一緒に身につけている様子を見ることが出来ます。

首や胸元を飾るということや美しい石を加工して身につけるということは延々と続いて現在に至ります。時には権力の象徴であり、お守りのような祈りであり、またファッション的な自己表現として、時代や状況によって用途を変えながら、首や胸元を石で飾るという文化は現代に続いています。なにか人間の持つ本能的な意識のひとつなのかも知れません。

度々「勾玉を飾るにはどうしたらいいですか?」という相談をされます。これは長い間私達にとっても課題でした。固定して立たせる台のようなものを作ったこともありましたし、ガラスやアクリルの中に並べるという方法もとりました。また勾玉は光に透かすと石の表情が美しいので、ある美術館の展示で後ろから光をあてたものも見たことがあります。

今回は首から提げるという原点を考え“首飾り”の形にして展示することを思いつきました。どのようなものにするか試行錯誤する中で、おそらく当時は紐のようなものを穴に通して連ねたであろうと試してみました。勾玉の向きが牙のようになるのを見て、やはり動物の歯を模ったのではないかと感じました。

そんなことを考えているとき、ある美術館でネックレスをつけた埴輪を見ました。リボンのような平たい紐の上下にバランスよく玉が並べられていて首の後ろは紐を交差させ飾りのようになっていることに気がつきました。ただ玉を連ねたのではなくてとても気をつかった配列になっているのです。古代の人はおしゃれだったのだと思い、もしも古代に金や銀の鎖があったなら彼らはこんな風に作ったかしらなどと、勾玉や小さな古墳玉、管玉、水晶の切子玉を手に取りながら指でつまんで並べているうちに、すっかり時間を忘れ、なんだか古代の人と対話をしているような楽しい気分になりました。

今回は金や銀の鎖を使い、勾玉や玉に一切直接加工をしない方法で専門の方に十数点のネックレスを製作していただきました。水晶の玉の曇り、いびつな切子の面、どんなに小さなものですらそれぞれの玉はひとつとして同じ形のものがありません。それらが一つの輪の中に揺れる様子を見ていると古代のものとの不思議な縁を感じます。

(関 美香)

*冊子”華蔵”については祥雲のHPをご覧下さい。www.shouun.co.jp

日本の鏡−華蔵Vol1より

和鏡展にむけて−日本の鏡

日本に鏡が伝わってきたのは、弥生時代と言われています。最初は中国大陸から輸入され、その後に処マ製鏡という写しが出来、平安時代には日本独自の和鏡と呼ばれる鏡が造られました。そして室町時代には柄鏡が現れ、江戸時代では柄鏡が主流となり、形もより大きくなっていきました。初めて鏡を覗いた日本人は鏡の反射する光、自分自身の顔、写ったいろいろな物を見て、驚き、不思議に思ったに違いありません。そして鏡には人の心を写すもの、神様が降りてこられる所などと現在の鏡とは違う意味を持っていました。人々は鏡に神聖さや畏怖を感じていました。
銅鏡は、磨かなくては曇ってしまいます。人の心と鏡とを重ね合わせて考えていたのです。また鏡の裏側には様々な模様が描かれています。幾何学文や文学からの題材などデザインの宝庫とも言えると思います。
展示では江戸時代の柄鏡を中心に、古墳時代から江戸時代迄の銅鏡を展示いたします。鏡の美しさや意匠を楽しんで頂ければ幸いです。

(関 隆)

*冊子”華蔵”については祥雲のHPをご覧下さい。www.shouun.co.jp

写真集 見捨てがたきもの−華蔵Vol1より

この度、展示会”見捨てがたきもの”の展示品の中からいくつかの古美術品を写真集にすることにしました。撮影をしてくださった三谷龍二さんは木工作家です。18年前、京都で小さな蓋つきのこしょう入れのようなものを見つけました。美しい柾目の桜材でできていて、蓋のカーブといい全体に繊細でとても美しく、すっかり気に入ってこの作品を作った人の他の作品も見たいと思い松本にある三谷さんの工房を訪ねました。当時開店して間もない祥雲は現代工芸と古美術を半々のスペースで営業していたので、三谷さんに個展を行っていただくことになったのです。神代楡で作った美しい木目のお盆が古美術好きのお客様に喜ばれたのを思い出します。三谷さんは以前よりご自身の作品や風景などの写真を撮影していて、どの写真も静かな空気を持っていると感じておりました。久しぶりに以前と違う形ですが一緒にお仕事が出来たことを嬉しく思います。十数年ぶりに松本の工房を何度か訪ねて撮影をしていただきました。三谷さんは作品も生活もシンプルを貫いている方なので、彼の感覚からするとかなり装飾的である古美術品にどのように反応するのかとても興味がありました。一つ一つの作品に黙々と目を向けながら、ご自身の視点をカメラで追っている三谷さんの姿に、ものを作る人のしなやかな好奇心を感じました。

撮影後、三谷さんの写真を見ていて詩の本を読むような写真集にしたくなりました。短い言葉(音)を添えて作品の背景、特徴などを表現してみようと心がけました。楽しんでいただけると幸いです。
(関 美香)

写真集”見捨てがたきもの”冊子”華蔵”については祥雲のHPをご覧下さい。www.shouun.co.jp
−それぞれの見捨てがたきもの− 華蔵Vol 1から
常に名品を扱いたいと思っている。見た人が感動して息を飲むような、美しい古美術品をいつも探している。わたしは古美術商の仕事は90%仕入れで決まると思っている。

そのためには購入の段階では色々な考えを働かせなければならない。真物が前提なのは言うまでもないが、極力傷の多いものや直しの多いものは避けなければならない。値段を高く仕入れすぎては苦労をする。焼き物ならば釉薬が美しいとか、彫刻であれば美しい作で時代が古いことなども重要だ。また同じようなものが世の中になく珍しいこと、等など。色々なことに頭を働かせて購入しようと思うのだが、いざ仕入れの時になると古美術品の魅力の前では、平常心の外に飛び出さなくては古美術品にそっぽを向かれるというのが現実だ。様々な考えが働きすぎて気弱になり欲しいものを逃した時は悔しくて眠れないときがある。何とか魅力的な古美術品を感動して入手したときは、大きな喜びと、安心感すらあるのである。その一方で、古美術商の立場からすると“理想的な品”ではないにもかかわらず平常心を超えて購入してしまうものがある。それらに出会ったとき、私は“見捨てがたき”とつぶやき、つい手に取って眺める。陶片、残欠や傷みがある場合も、また特に珍しくないように思えるがなんだか気になるものもある。“名品とは”という定義があるとすればおそらく当てはまらないものばかりかも知れない。しかしその不完全と思える形の中に時代の息吹や薫り、造形のすばらしさを感じる時、よくぞ廃仏毀釈や戦災などの過酷な道のりをくぐりぬけて目の前に現れてくれたと思うのだ。

この仕事を始めて20年近くになる。その間“古美術品を集めるということはどういうことなのだろう”といろいろな方から聞かれてきた。またそのつど同じ素朴な疑問を自分に投げかけてきた。

見捨てがたきものを手にするとき、古美術品の持つ長い年月に対して自分の時間はほんの一時ではあるがこれらを手元に置くことでそれを守りながら、豊かなものを心に得ているのだ。そして結果的に大事に次に伝えていくことになれば幸いだ。古美術品の上を通り過ぎた静かな時間や空気のようなものを感じることができたらと思う。

以前、秦秀雄さんという人が“見捨てがたきもの”という題名で雑誌に連載していたのを古本屋の店先でみたことがある。私の記憶では古伊万里の白磁の湯飲みに錫の茶托で茶を楽しむというものだったように思う。多くの古美術の中から拾い上げた品を制作当時の人たちが楽しんだスタイルではなく秦流に取り上げたこの連載は人気があったと聞く。柳宗悦さんが取り上げた“民藝”についてもやはり“見捨てがたきもの”を拾い上げたものではないかと思う。あいにく私は秦秀雄さんや柳宗悦さんの時代よりも少し後になって古美術をはじめたので、当時の事を実感として感じることはないのだが、彼らが“見捨てがたきもの”を見つけることをどんなに楽しんでいたのかは目に浮かぶ。

本来、古美術品を観ることや手元に置く楽しみはおおらかで自由なものだ。古美術品を楽しむ人の数だけ、それぞれの“見捨てがたきもの”がある。
(関 美香)

*冊子”華蔵”については祥雲のHPをご覧下さい。www.shouun.co.jp