銀座・古美術 祥雲からの展示会情報やお知らせです

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−それぞれの見捨てがたきもの− 華蔵Vol 1から
常に名品を扱いたいと思っている。見た人が感動して息を飲むような、美しい古美術品をいつも探している。わたしは古美術商の仕事は90%仕入れで決まると思っている。

そのためには購入の段階では色々な考えを働かせなければならない。真物が前提なのは言うまでもないが、極力傷の多いものや直しの多いものは避けなければならない。値段を高く仕入れすぎては苦労をする。焼き物ならば釉薬が美しいとか、彫刻であれば美しい作で時代が古いことなども重要だ。また同じようなものが世の中になく珍しいこと、等など。色々なことに頭を働かせて購入しようと思うのだが、いざ仕入れの時になると古美術品の魅力の前では、平常心の外に飛び出さなくては古美術品にそっぽを向かれるというのが現実だ。様々な考えが働きすぎて気弱になり欲しいものを逃した時は悔しくて眠れないときがある。何とか魅力的な古美術品を感動して入手したときは、大きな喜びと、安心感すらあるのである。その一方で、古美術商の立場からすると“理想的な品”ではないにもかかわらず平常心を超えて購入してしまうものがある。それらに出会ったとき、私は“見捨てがたき”とつぶやき、つい手に取って眺める。陶片、残欠や傷みがある場合も、また特に珍しくないように思えるがなんだか気になるものもある。“名品とは”という定義があるとすればおそらく当てはまらないものばかりかも知れない。しかしその不完全と思える形の中に時代の息吹や薫り、造形のすばらしさを感じる時、よくぞ廃仏毀釈や戦災などの過酷な道のりをくぐりぬけて目の前に現れてくれたと思うのだ。

この仕事を始めて20年近くになる。その間“古美術品を集めるということはどういうことなのだろう”といろいろな方から聞かれてきた。またそのつど同じ素朴な疑問を自分に投げかけてきた。

見捨てがたきものを手にするとき、古美術品の持つ長い年月に対して自分の時間はほんの一時ではあるがこれらを手元に置くことでそれを守りながら、豊かなものを心に得ているのだ。そして結果的に大事に次に伝えていくことになれば幸いだ。古美術品の上を通り過ぎた静かな時間や空気のようなものを感じることができたらと思う。

以前、秦秀雄さんという人が“見捨てがたきもの”という題名で雑誌に連載していたのを古本屋の店先でみたことがある。私の記憶では古伊万里の白磁の湯飲みに錫の茶托で茶を楽しむというものだったように思う。多くの古美術の中から拾い上げた品を制作当時の人たちが楽しんだスタイルではなく秦流に取り上げたこの連載は人気があったと聞く。柳宗悦さんが取り上げた“民藝”についてもやはり“見捨てがたきもの”を拾い上げたものではないかと思う。あいにく私は秦秀雄さんや柳宗悦さんの時代よりも少し後になって古美術をはじめたので、当時の事を実感として感じることはないのだが、彼らが“見捨てがたきもの”を見つけることをどんなに楽しんでいたのかは目に浮かぶ。

本来、古美術品を観ることや手元に置く楽しみはおおらかで自由なものだ。古美術品を楽しむ人の数だけ、それぞれの“見捨てがたきもの”がある。
(関 美香)

*冊子”華蔵”については祥雲のHPをご覧下さい。www.shouun.co.jp